【19世紀に確立された栄養学】

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栄養学は19世紀に学問として確立されて、

人々の食事と、日常生活の活動から見た、エネルギー所要量
の関係が議論されました。

では、19世紀の人々の食生活はどのようなものだったのでしょうか?

イギリスを例にとってみると、まず、彼らの主食はパンです。

小麦の脱穀は石臼で行われていました。しかし、蒸気機関の発明により

ローラーを回転させる脱穀にかわると、ふすまや胚芽が完全に取り除かれる

ようになり、見かけも味もよい白パンが製造されるようになりました。

経済的に豊かな人々はこれを好み、ふすまや胚芽を含む黒パンは嫌われました。

しかし、このころはビタミン研究はまだされておらず、当然のことながら白パン
からは、ビタミン類は失われ、ビタミン欠乏症になっていることに、
当時の人々は気づくよしもありませんでした。

日本でも、江戸時代になると、精米技術が発達し、白米が好まれ、玄米が嫌われました。
江戸では、ビタミンB1欠乏である「江戸わずらい」が流行した。

フランスの化学者、マジャンディが、白パンで飼育した犬は黒パンで飼育した犬より早く死ぬという栄養学的研究報告を発表しています。

当時の貧しい人々は、パンとジャムと野菜で食事をとり、ほとんど肉を食べなかった。
というより食べれなかった。

対して、富裕な人々は、牛肉や馬肉を食べて、野菜類を嫌ってほとんど食べなかった。

そのため、富裕層には痛風患者が多かった。

いずれにせよ、栄養学的に非常に偏った食事をしていたということです。

当時、食肉は塩漬けや酢漬けにして保存していましたが、この方法はあまり有効ではありませんでした。

このため、フランス革命評議会は、肉の保存法の発明者には高額な賞金を与えると発表しました。

ナポレオンの有名な言葉ですが、軍隊は胃袋で行進すると言い残しています。

これに応えたのが、パリで菓子作りをしていた、アペールです。

アペールは、食べ物が腐るのは空気に触れるために起こると考えました
(実際には空気中の腐敗菌が触れると起こります)

アペールは、食べ物を圧力鍋で加熱して、空気を追い出した後に容器を密閉する保存法を考案し、フランス海軍の航海でテストされ成功を収めました。
当時、ロシア遠征を計画していたナポレオンは、大いに喜んでアペールに賞金12,000フラン

当時1フラン(1,000円)を与えた。1,200万円ほど。1804年です。

この食品保存法は「アペリザシオン」と呼ばれ、やがてイギリスのピーター・デュラントが軍用の保存食として画期的な缶詰を1810年に開発しました。

面白いのは、缶詰は開発されたのに、缶切りがなかったのです。

どうやって開けていたのかというと、ハンマーとのみで叩いて開けるか、銃剣やナイフを缶に突き立て無理やり開ける。

銃で吹き飛ばして開けていました。

なんと、不自由なものだったでしょう。

その後、缶切りが発明されたのは、1858年ですから、50年近く
かかっています。

日本で初めて缶詰が製造されたのは1887年10月10日
北海道石狩缶詰所でサケ缶であった。

次回はカロリー計算はいつ頃から、行われたのか?

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